こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
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さて、エヴァンゲリオンです。
新世紀エヴァンゲリオン TV版 プラチナ コンプリート DVD-BOX (全26話+ディレクターズカット版4話, 660分) [DVD] [Import]
アニメの歴史の中でも、ヤマト、ガンダム級、の大ブームを生んだ作品です。
現在も新劇場版が作られるほどの人気があり、グッズも作り続けられています。

そんなエヴァンゲリオンTVシリーズはある意味で大きな反響をよびました。
それは最終回です。

謎や複線の回収が行われないまま、シンジの内面の話を取り上げて、最後はおめでとうで終わる。
この締めくくり方はファンの間で賛否両論となりました。

実は、北海道で放送された「島本和彦のマンガチックにいこう」というラジオ番組の第220回で、ガイナックス社長、山賀博之がゲスト出演し、これについてある事実を語ったのです。

その内容をまとめるとこうなります。
*エヴェンゲリオンの企画段階で、最終回の方向性は決まっていた。
*しかし、こんな内容でエンターテイメントになるのだろうか?
*よって、スタッフのアイデアが盛り込まれ、エンターテイメント作品になるよう肉付けされた。
*最終回から見て、第一話に近づくほど、後から考えられたもので、スタッフの意見がたくさん入っている。
*あの最終回は庵野監督が最初からやりたかった事だから、見てもビックリしなかった。

ということです。
決してスケジュールがきついからああなったのではなく、あれがやりたかったということです。

そして、あらためて、TVシリーズ最終回「最終話 世界の中心でアイを叫んだけもの」を見てみました。

これは
衝撃です。

もはや心理療法をアニメにしたようなものです。

物語は抑うつ状態のシンジのこころに対し、キャスト全員で対話をつづけ、認知を変えていきます。

エヴァに乗ればほめてくれる。
乗ることにより自分はここにいられる。
じゃあ、乗らなければ自分は自分で居られなくなる。
ここに居場所はない。

つまりシンジは、何かをしなければ自分に価値は無いという視点に立っており、現実に身の回りに起きたこともその視点に合うような理解のしかたやとらえ方をしています。
自分には価値がなく、人に好かれていない、という部分を現実にしたいかのように。
人の言葉、出来事を解釈していきます。

アスカもシンジも、幼いころにお母さんを失っています。
幼児期に母親と離別すると、自分は愛情をもらえない、守ってもらえない、この世は危険だという意識が芽生えて、不安が心の中で大きくなる場合があると言われています。

中盤では自由連想法のように、ひとつの言葉に対して思い浮かんだものを、思いつくままに語るという場面がああります。
無意識にあるものを探す、ひとつのヒントとしてこの方法は用いられます。

シンジは
青い空→温かいもの→慣れないもの→怖いもの→いらないもの→好きじゃない

通常は好ましいイメージである「温かいもの」に慣れず、怖さを感じるあたりに母親との愛着に何か問題があったのかもしれません。

今度は望みを問いかけます。

何を願うの?→不安が怖い?
何が欲しいの?→安らぎが欲しい?
何を求めているの?→嫌わないで!


ここでシンジは嫌わないでほしいという深層心理に出会います。
(シンジだけではなく、共感する全ての人に向けた作りになっています)

怖いものは→拒絶
欲しいものは→接触と承認


そばにいてもいいの?ここにいてもいいの?私の事すき? という言葉とともに授乳シーンが映されるあたりが確信的になります。親と子の愛着障害がテーマになってきます。

(アスカ) ママのところに行かないの?→行きたくない
(シンジ) お父さんの所に行かないの?→行きたくない
どうして?

嫌われるのが怖いから

母子分離の研究では、母親から引き離された子供は三段階の行動変化を示すと言われています。

①抗議の段階 泣きわめきます。
②絶望の段階 元気も食欲もなくなり引っ込み思案になります。
③離脱の段階 次第に周りへの興味を取り戻し、明るくなります。

一見もとに戻ったように見られるのですが、内面に大きな変化があったことが分かります。
それは、離脱の段階のあとに母親に合わせると、子供はすぐには懐かなくなります
喜ばず、まるで母親などいなかったかのようによそよそしくなります

その心理状態が
嫌われるのが怖いから
というものではないかと思われます。

ここでさらに質問が続きます。

何を願うの?→不安の解消
何を求めるの?→寂しさの解消

そしてシンジは自分に価値が欲しいと言います。
自分とは何なのかと問い始めます。

自分を感じているものが自分であり、自分しか自分を理解することも、いたわることも出来ないのだという旨のセリフがつづきますが、シンジは自分が無いから分からないといいます。

今のあなた、今のあなたの周りの人々、今のあなたを取り巻く環境、どれもずっと永遠に続くものではない。
あなたの時間は常に流れ、変化し続けている。
あなたのこころ次第でいつでも変わる。

ミサトやレイの言葉に乗って、シンジは何もない世界に行きます。
そこは自由であるがゆえに何もない空間です。
何もないというのは自由すぎて不安になります。
ここで地面を設定すると、シンジは少し安心します。
しかし、それは皮肉にも少し不自由になった状態なのです。

シンジは自分以外の存在があるという事は重要な事だという事に気がつきます。
自分以外が居ないと自分が分からない。
他の人がいるから自分が分かる。
一人はどこまで行っても一人。


一番最初の他人は母親。自分とは違う人間。

ここでシンジは気がつきます。
多くの自分じゃないものがあるから、自分が分かることに。
(これは攻殻機動隊ghost in the shellでも語られていたので、別の機会に取り上げます)

「ボクはボクなんだ。しかし、他の人がボクのこころの形をつくっているのも確かなんだ。」

自分自身は自分にしかコントロールできない。自分が他人をどのようにとらえるかもコントロールの内。
他人も同じ条件なので、関係性は変えられるし、常に変わっていく。
他人は自分をコントロール出来ないが、自分との関係性に影響を与えることはできる。
それをどう受け止めるかも自分でコントロールできる。

ここで、急に軽いノリの学園ドラマが展開するのです。
当時はこの急展開の意味が分からなかったのですが、今なら理解できます。
これは、解決思考ブリーフセラピーで言うところの、ミラクルクエスチョンに似ています。

ミラクルクエスチョンとは
自分自身のすべての問題が解決したら、いったい自分はどんな生活を送っているだろう?
というもので、ありありと映像で想像して解決像を築く方法です。

まさかエヴァの中でこれをやっているとは思いませんでした。

実際、アニメの中でこのクエスチョンは成功します。
シンジはエヴァのパイロットではない自分という存在の可能性に気がつきます。
いわゆる未来時間が変わったのです。
いろんな可能性があること、それを自分で選択できること。
シンジは自分がキライですが、好きになれるかもしれないという事も。

ここでセットが崩れ去ります。
エンターテイメント作品の力が必要無くなり、物語の結論、監督の言いたかったことが直球で表現されます。

ボクはここに居てもいいんだ!


自律の瞬間、自己同一の完成です。
自分で律すると書いて自律です。
ピアノの音を整えるのに調律という言葉を使いますが、それの自分版です。
自分で自分を整えることが出来ました。

そりゃおめでとうですよ!
祝福です。

生きづらさからの解放です。

私は、「アダルトチルドレンとは機能不全家族の出身である」という定義はおかしいと思っています。
それ以外にも居るでしょうし、そうじゃない人もいるからです。統計学上効果が認められた実験もありません。
なので、アダルトチルドレン的な悩みを持つことを「生きづらさ」と勝手によんでいます。
このエヴァンゲリオンがこれだけヒットしたことは、アニメとしてすぐれていただけではなく、行きずらさに共感した人が沢山いたからではないかと思うのです。

では最後にエンディングの言葉をみなさんはどうとらえるでしょう?

父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全ての子供たちに
おめでとう


ではまた次回


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