保守カウンセラーさいとうの「カレーは二日目」

日本を愛するカウンセラーがアニメなどサブカルを交えて心の話を繰り広げる

カテゴリ: 日本

こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
週に一回くらいの更新になろうかと思いますが、よろしくお願いします。
大阪に拠点を置いて、相談を受け付けております。
ホームページはこちらです。

今回の話は、心理学的な裏付けのない個人的な洞察によるものです。
あくまで一つの物の見方として頂ければ幸いです。

さて、日本の自殺率の高さというのは極めて異例な事です。
世界第3位の経済大国でありますし、治安も良い。
平均的に高い教育レベルであり、技術もトップレベルです。
世界一の長い歴史を持つ皇室があり、文化、伝統にあふれた美しい国です。
貧富の差も他国と比べると低く、職業の種類はおそらく世界トップでしょう。
しかし、日本の自殺率は世界で12位。
主に旧共産圏の国々と韓国が上位に入っている中、民主主義国日本はなぜか自殺が多いです。

1997年以降自殺者は3万人を超えましたが、これは経済的な影響が大きく、日本銀行の政策ミスによるデフレが原因でしょう。
金融緩和の効果によってデフレがマシになり、為替も円安傾向になってくると自殺者は2万人台に戻ってきました。

それでも2万人の自殺者はいる訳ですし、20代。30代の死因の1位は自殺なのです。
それはなぜなのか?
いろいろと調べ、考えているうちに、問題の一つが見えたような気がしました。
それは
日本人として持っている価値観と、今の現実の価値観とのギャップです。
言いかえれば、遺伝的にもっている特徴と、生後の環境によって獲得した特徴の差が生きづらさを生んでいるのです。



こちらの動画の後半で、日本人と欧米人との価値観の差というものが語られています。
震災で日本人は略奪をせず、冷静で助け合う姿を見て、世界は賞賛しました。
それはなぜなのかというと、根本的に民族の価値観が違うからだと言います。
民族の行動を知る為には、民族の3つの価値観を知ればいいそうです。

その1 自然観
その2 生死観
その3 歴史観

この動画では歴史観以外について語られています。
簡単に要約しますと。
日本人の自然観は、自然の恵みを頂いて生かされていると考える。太陽、富士山、花弁1枚にも神が宿る。
しかし、欧米では、自然は人間が管理する対象であり、目下の存在。聖書にそう書いてある。
よって、日本では食事の際に命を頂くという事で「いただきます」というが、欧米では動植物を食べる権利があると考えるので、「いただきます」に代わる言葉はない。
日本人のいう神とは宇宙の中にいる神の事、これを八百万(やおよろず)の神という。
欧米のいう神は宇宙の外にいる神で、唯一絶対の存在。

日本人は自分が幸せになる事に幸せを感じない
周りの人を幸せにすることで、幸せを感じる。自分の事は後。
ある企業の研修で、自分が死んだとして、自分の大切な人が読む弔辞の原稿に何と書かれていれば成仏できるか? というテストをしたところ、全ての研修生が感謝されている内容を書いたという。
大きい家を建てましたとか、息子はフェラーリに乗ってましたとかではなく、息子の笑顔に救われたとか、息子の母親であった事を誇りに思うという内容で埋め尽くされたとのことです。


これは私個人の体験ですが、九州は宮崎県に行った時、地元の高校生が数人集まっていました。
そのグループから独りふらっとどこかに行った子がいて、缶コーヒーを買って帰ってきました。
すると仲間が「おまえは自分だけ缶コーヒー買ってきて悪い奴だ。みんなにも飲みたいか聞いてから行けよ」と説教を始めたのです。

対照的なのは、私がチャイナに居たときの話ですが、通訳の子が外に辛いうどんを食べに行こうと誘ってきたので、私はみんなにも聞いてくるというと不思議そうにしました。「なんでみんなの事を気にするの?

全体の和を大事にする日本と個人の主張を大事にする外国の差です。
外国の王と違って、天皇は国民の事を国の宝である「おおみたから」と呼び、奴隷扱いしませんでした。
そして自然災害の多い日本では、皆の助けなしに幸せに暮らすことはできなかったでしょう。
そういった積み重ねが遺伝的な特徴として今の日本人にもあるのだと思います。

しかし、地域の結びつきや、家族といったものにいたる共同体が細分化されて、個になってきています。
マンションでは隣の人を知らないのは当たりまえです。

元々持っている日本人的な和の感覚が、個の壁によって思うように発揮できていないのです。
これに拍車をかけるように、年々治安が良くなってきました。
凶悪犯罪が増えているかのような印象をTVなどで持っているかもしれませんが、実際は犯罪が減っています
団塊の世代より下は極めて大人しいです。
その傾向は年々加速して、草食系などと呼ばれますが、自分も人もキズ付かないように人との距離を測っています。
団塊の世代以前は人とぶつかる事もよしとして、自己主張はアリだったとおもいますが、現在はいかにぶつからないかがポイントです。
空気を読む事に長けているので、マナーが向上しています。
(なにしろ若者のホームレスは周りに迷惑をかけたくないがために、小奇麗な格好なので見わけが付きにくいくらいです)
それゆえに、人に迷惑をかけたくないし、傷つけたくないし、傷つきたくないし、個人の自由を主張したいし、本能的に和も大事にするがゆえに、バランスがむづかしいのです。
とくに人に迷惑をかけることを非常に恐れます。
多くの人が貧乏だった戦後ではなく、豊かさと安全が高いレベルである今では、迷惑をかけるような存在はここにふさわしくないという潜在的な和が見え隠れします。

これが自殺者を増やしている一つの原因なのではないかとおもいます。

しかしながら、日本国民はどんな人でも「おおみたから」です。
ここにふさわしくないという人はいません。
そして、全ての物は変化します。


ではまた次回







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さて、今回はKAZUYAチャンネルのこの動画についてです。


内容としては、海外に行くと、いかに日本が優れているか、自由で住みやすいかという事に気づかされる。
しかし、日本国内にずっといると、その素晴らしさが当たり前になってしまう。
あらためて感謝しましょう。
というお話です。

この点においては完全に同意します。
私は仕事でチャイナに行った事がありますが、それはもうヒドイ。
観光地ではなく、工業地帯にいったので、一般の人々の目線と同じ世界を見てきましたから余計ですね。

停電、断水は二日おきくらいに発生。
ネットがつながるときはラッキー。(もちろん検閲で見れないサイトがいっぱい)
買ったものはすぐ壊れる。
品物の種類が少ない(ジュースでいうと、10品あるかないか)
尋常じゃなく汚い。
レストランに毛沢東を賛美する絵が飾られている。
食べものがまずい。(日本の中華料理の方が圧倒的にウマイ)
どのお店の従業員もやる気がない(無愛想、客の前で飯を食べ始める、客の隣の席で休憩してる)
時間や約束にルーズすぎる。
基本的に、サービスや食べもの、商品を信用してはいけない。
道路がまっすぐ舗装されていると思ってはいけない。
電車は身近にない。
物の値段はバラバラ。
交渉に強いものが勝つ。
自分の非を認めたら終わり。

そんな世界でした。

チャイナというところは
自分と家族にとって都合がよければ、周りはどうなってもいい
という考えの人々がひしめき合っている世界です。

ただ、KAZUYAさんと意見が異なる部分があります。
それは、

ご飯を作ってくれる親に感謝しましょう。
外で働く親に感謝しましょうというところです。


なぜこれに異論があるかというと、そうではない親が居るからです。
一見良さそうな親に見えて、じつはとんでもない親というものが存在します。

毒親です。

その内容は、まさに

自分にとって都合がよければ、周りはどうなってもいい

という考えしか持っていないのです。
いわゆる良心というものがありません。
自分にとってまわりの人間が家族であれ、利用する道具としてしか認識されません。
これを
反社会性人格障害(サイコパス)と呼びます。

そして、もうひとつの毒親は

私は立派な親だ。周りの尊敬を集める素晴らしい人格者だ。だから周りはそのようになっていなければならない。


という考えのみが頭の中にインストールされています。
実際には立派な親でなくても、それを自分で認めることはできません。
自分は立派だが、相手のせい、子供のせい、環境のせいでうまくいかないという事にします。
そして自分は犠牲者だと周りに行って周り、洗脳します。
事実と虚構を入れ替えて、ねつ造した話しを本当の事にします。
これを
自己愛性人格障害といいます。

これらに
見捨てられたという感覚に敏感で、感情がジェットコースターのように激しく動き、
突然激しく怒り出したり、死ぬと言ってまわりを騒がせたりが著しい

境界性人格障害を加えれば、毒親の多くの部分を占めると思います。

病的な人格の偏りを持つ人が他人であれば、距離を置くことも可能ですが
親となるとそうはいきません。
自分の親が、他の人の親とは違うということに気づくのは、ずいぶん時間がかかるからです。
そして、親自身の立場や権力や評判を上げる事に非常に狡猾なので、周りの人も分かりにくい場合がおおいです。

ご飯を作ってくれる親に感謝しましょうのくだりですが、

ご飯を作ってくれるという事そのものには、それ相応の感謝があって当然です。
しかし、
ご飯を作るという事に、とんでもなく大きい代償を払わされる場合は、話は別です。


異常なほど恩を着せられ、親の意のままに操られる場合があります。

また、ネグレクトや、虐待。
子を利用して自分を優位にする事をスルーしてはいけないと思うのです。

感謝の気持ちを表す行為に親孝行がありますが、
その内容が親にとって都合のいい事だけで、子供はそれに気付かず奴隷と化しているような親孝行は、褒められたものではありません。
(親は働かず遊んでおり、子供は休みなしで睡眠時間を削って仕事を掛け持ちし、全ての稼ぎを親に差し出しているが、子供はそれを当然と思っているなど)

素晴らしい環境に当たり前になって、素晴らしさに気づいていない事と同様に、

最悪な環境に当たり前になって、最悪に気づいていない

という事も注意が必要だと思います。

ではまた次回




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ようやく病気から回復した、こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
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長らく病床につき、ご迷惑とご心配をおかけいたしました。
一か月足らずの間に3回も39度前後の高熱をだすという、私の人生史上初の厄介な病でした。
病気というのは不思議なもので、体が病むと、心まで病んできます。
大変憂鬱な気分になったものです。
しかし、体が回復すると、心も回復してきます。
同じ景色が、病んでいるときと、健康なときでは全く違ってみえたり感じたりします。
それを久しぶりに感じました。

さて、病気の話ということで、うつ病の話を一つ書いてみようと思います。
まず、私の立場を明記しておきます。

・抗うつ剤の効果はある
・うつは脳の病気である
・うつの間はカウンセリングは通用しない

うつ病に対する世間のとらえ方はずいぶんと良くなってきたと思いますが、
今でも「自分に甘いだけだ」などという言葉をきくことがあります。
そもそも、自分に甘いのならうつにはならないと思います。
真面目で、完璧を目指し、いいかげんに出来ないからこそ、必要以上に自分を責めるのがうつです。
この自責の念は尋常ではありません。
もはや妄想の域に達しているようなレベルで自分を責めます。
よって、背負えない責任まで全て自分に背負うほどの厳しさを持っています。
自分に甘いわけがありません。

うつとはザックリ言うと20人に1人のポピュラーな病気です。
そして身体の病気です。
脳機能の低下から起きる現象ですので、気分の落ち込み等の精神的な問題だけでなく、さまざまな身体的な不具合も起きます。

これらはある一定期間通常の自分とは異なる状態にあるということで、いつまでもこの状態がつづくのではありません。
身体の病気ですから、十分な休養、食事、薬というのは効果があります。
薬は飲んでから効果が表れるまで3週間ほどかかるため、本人は効いている実感がわかないばかりか、副作用はすぐあらわれるために、薬の効果が無いと思う場合もありますが、3週間以上経つと、効果の方が副作用を上回ってきます。
通常半年間は飲む必要があり、十分長く飲むことで、再発の防止につながります。(うつは再発の可能性があるため)
しかし、薬の合う合わないという問題や、不必要に沢山の種類を処方される場合などは医者を変えた方がいいかもしれません。
そして、カウンセリングという精神的なものは、うつの真っ最中には効果がありません。
脳機能が低下しているため、話をしたり、理解したり、思いを巡らしたり、考えたりという事自体に無理があるからです。

そして江戸時代にもうつ病は存在していました。
その当時は気鬱の病と言われており、対処方はさまざまですが、薬を飲んだり、祈祷したりなどです。
決して近年流行しだした病気ではありません。

ということで、うつとは身体的な病気な訳です。
しかも自殺リスクを伴う病気です。
では、先進国でもトップクラスの自殺者数の日本において、うつは多いのかというと、不思議なことにそうではありません。
世界各国と比較しても、日本のうつ病患者は少ないです。
うつ病までいかない「抑うつ状態」でみても少ないです。(詳しいデータはこちら

自殺者=うつ病患者という図式は成り立たないことが分かります。
もっと違う原因が自殺にはあって、日本はそれが多いのではないかという考え方の方がいいように思います。



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セブンイレブンのコーヒーのクオリティの高さに感動している、こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
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さて、先日「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ展ー叛逆の物語ーもう一度あなたに逢いたい・・・」に、行ってまいりました。(タイトル長い・・・)

さすがに人気作品のイベントだけあって、とにかく人が多いです。
人しか見えないといって差し支えないでしょう。


1

さらに声優さんのトークショーがあったという事も加わって場内の混雑は半端なく、
グッズを買う為の列や、カフェコーナーの列が60~90分待ちになっておりました。
体感的には、永遠にたどり着くことはないという勘違いを起こさせるほどの列です。

一日に4回行われるトークショーのキャパは二千人ですので、これが4回転するわけですから凄まじいはずです。
昼過ぎには売り切れのグッズが発生しておりました。

そもそもこの作品の美術はクオリティが異様に高く、現代アートをふんだんに取り入れているため、
展示ブースの作りこみは凄かったです。
入口から出口までが作品の物語に沿った演出がなされており、劇団イヌカレーのアートで染まっていました。
4

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6

3

ストフェスの時もそうだったのですが、圧倒的に体力の無い私にとって、この人の多さと熱気の中では長くは持ちません。
ある程度の見切りをつけて撤退する事が重要です。
しかし、天性の方向音痴ギアスの力のように発動するため、退路が分からず、脱出するだけで1時間以上を費やすはめになったことは、今となっては伝説です。

オタクというものが、秋葉原に集う魑魅魍魎の総称ではなく、好きなものに精一杯の情熱を傾ける事が出来る猛者であることが、ようやく一般論になろうかとしております。
この会場に集う人達も、年齢層が広く、男女比の偏りもないのに驚きましたし、服装もコスプレからオシャレ系の人から、普通の感じの人が多く、いわゆるオタクファッションの方々は少なかったです。
幅広い層の人が集まり、数ある好きなものの中の一つがこの作品で、足を運んだという感じですね。

総じて、列を乱す者はおらず、マナーも良く、注意事項にしたがってみなさん行動してました。
私が中国にいた時はマクドナルドの列にならんでも平気で割り込みされたり、ゴミを地面に捨てることは普通でした。歩道を歩いていても車がクラクションを鳴らしながら同じ歩道を走って来るという始末ですから大違いです。

日本人らしさといいますか、場になじもうとする習慣。
郷に入れば郷に従えというギアスの力が発動しているとでもいいましょうか、大変ありがたいものです。

これがあるからこそ、イベントが行われますし、グッズ売り場も柵で仕切っただけの防犯対策で済みますし、自分だけでなく、他の人にも楽しめるようにという心使いが多かれ少なかれ共有されているので、展示ブースも大きな足止めを食らうことはありません。

もしこれが中国で行われていたとしたら
グッズは盗み放題、列は割り込み、ゴミは床に撒き散らされ、撮影禁止の場所など関係なく撮影し、触れてはいけない展示物を触って破壊、トークショーの席番号を無視して我先にと前の席に堂々と座り、スタッフの注意を無視かワイロで懐柔、何かあれば逆切れして訴える。
こんな感じでしょうか。

個人のスタンドプレーしか存在しない国と、全体の調和をとれる国の差だと思います。
もちろん全てがOKとはいません、調和にはある程度の忍耐や犠牲や副作用もあります。
しかしながら、力で制圧することなく、統制がとれるという事は大変大きいと思います。
日本のひとつの良さだと思います。

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さて、今日は体罰について語りたいと思います。
桜宮高校体罰事件はまだ記憶に新しいと思います。
この時、「体罰はダメだ派」「体罰はOKだ派」に議論が割れました。
カウンセラーの世界では体罰はダメだ派が圧倒的です。
そして、保守の世界では体罰はOKだ派が多かったように思います。

まず、私の立場を申し上げておきますと、「役に立つのなら体罰はOK」です。

体罰がダメというのも理解できる話です。
昔から日本では体罰が当たり前で、ここ最近減少傾向にあるのだろうという方が多いかも知れませんが、
江戸時代の日本では体罰の害はすでに知れ渡っており、体罰をするものは少数派でした。

江戸時代は今と違って、生まれた子供は大人になる前に死んでしまうケースが多かったので、子育てに関してはずいぶんと研究されており、さまざまな書物が残されています。
勧農教訓録には、
「骨が固まらないうちに子供を打ってはならない。それは親自らが子供の持病の種を植え付けるようなものであるから、必ず慎まなければならない」
と記されています。

また、甘やかしもスパルタも害であると批判する書物、父兄訓では
「父に叱られて子供がべそをかいているうちはよいが、子供が10歳以上になって自意識が芽生えると、叱れば恨み、叩けば怒って、親子の間に確執が生じ、不幸の所業も起こってついには子供を捨ててしまう。」
と記されています。

とにかく親の責任は重大であり、「子供の善悪邪正は一割は生まれつきであるが九割は父兄の教えにある」と言われ、不幸な子を持つのは、子が悪いのではなく、皆親が不幸にさせるとされていました。
ただ、この時代の親はいわゆる両親だけでなく、名付け親や、出産時に子を取り上げた取り上げ親、赤子を抱いて最初にであった行きあい親などの仮親が多数存在し、全て本物の親子のような間柄でした。
子のいる者も居ない者も、次の世代を立派に育てるという事に大きな責任を持って生きていたことが分かります。
このように育てられた人達が明治維新を成し遂げ、有色人種初の近代化に成功し、先進国の仲間入りを果たしたわけですから説得力があります。

しかしながら戦時中のように、勝手な行動が死を意味するような場合、殴ってでも言う事をきかせるという状況があったことも事実です。
しかも大勢の死や、国の滅亡につながるという場合はなおさらです。

次世代に立派な大人として成長させる責任を、子の居ない大人に至る全員が持っている訳でもなく、死に直面するような事態の最中でもない現代において、ただの暴力が事件となって表に出てきたのが体罰事件という訳です。
ましてココで申し上げたように、子供は大人に何かされても恨むなという空気があるかもしれない現在ではなおさらです。

では、体罰の全てがいけないのでしょうか?
そうではありません。
子供自らが進んで叩かれ、恨みや怒りも無く、反省と同時に力がみなぎり、リフレッシュになる体罰があります。

それは

闘魂注入です。


叩かれる側は叩く人を尊敬しており、叩くという行為は儀式と化し、自分に前向きに努力する「闘魂」という力を欲して自ら叩かれに行く訳です。
叩く人にそれ相応のカリスマが必要ですし、こういう儀式と化していることが大事です。

もうひとつ上げれば、座禅ですね。


これも叩かれる側は座禅を尊敬しており、叩くという儀式で、自分を正すという力を欲して座禅するわけです。
叩く人はそれなりの修行が必要ですし、こういう儀式が成立するわけです。

叩く側、叩かれる側にこういう関係性が成立した儀式であれば、体罰は効果があると思います。
心理的な抑圧、自己不一致な行動、DVの連鎖などの原因にはならないでしょう。

くれぐれもこういう尊敬しない相手からの、不本意な制裁という体罰は害だと思います。



ではまた次回





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