季節の変わり目になるとニキビができる、こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
週に一回くらいの更新になろうかと思いますが、よろしくお願いします。
大阪に拠点を置いて、スカイプやメールでこころの相談を受け付けております。
ホームページはこちらです。
さて、ついに、キルラキルが終わりました。
さすがはグレンラガンのスタッフが作ったアニメだけあって、無茶苦茶熱いアニメでした。
もはや熱いという言葉では生ぬるく、新しい言葉を欲しいくらいです。
ギャグと熱血と理屈と色気が混然一体となって怒涛のスピードと想像の斜め上を常にいく、
先の読めない展開が最高でした。
実はこのキルラキルの中で、非常に大事な事が語られています。
それは、
なんだかよくわからないものです。
物語の序盤から、なんだかよくわからないもので作り上げたコロッケ(なぜかおいしい)を食べるシーンが幾度も登場します。
これが複線として後々効いてくるのです。
崇高な理想を掲げ、練りに練った計画を、強いリーダーシップと統制された組織で、大規模に実施することは一見正しいように思います。
そして目先の欲に目がくらんだ胆略的な行動は間違っているように感じます。
しかし、決してそうではないのです。
前者のような事を実際にやってのけたのは、いわゆる共産主義(計画経済)です。
理想の世界を思い描いて国を作った結果、理想に沿わないものを排除し、多くの犠牲を出し、国は崩壊するという結末を迎えました。
それに対して後者(自由経済)は滅びずに残っています。
物語の終盤で、崇高な理想のため、あらゆるものを利用していた学園の支配者「皐月」は、敵と同じ事をしていることに気づき、なんだかよくわからない連中の力をみとめ、自分のやり方が間違っていたことを反省しました。
崇高でもない理由(時には目先の欲)のために戦う主人公「流子」の強さは「皐月」を上回り、それはなんだかよくわからないものの協力や反応のたまものなのです。
なんだか分からないものにこの世は満ち溢れているからこそ美しい。
そう素直に感じ取れるようになったのです。
だからこそ皆で一致団結することができました。
ここは大変重要なポイントです。
人間の頭で考えた計画は、完璧ではないのです。
なぜなら、人間は完璧ではありません。
この世は、なんだかよくわからないもので満ち溢れています。
カオスそのものです。
ジャングルのなかには、背の高い木やキノコや植物なのか何なのかわからないものが生えて、虫のようなものが居て、目に見えない微生物がうごめき、ウイルスや菌の類がいるかと思いきや、ゾウのような巨大な哺乳類が居て、川には川の魚、海には海の魚が居て、クジラは魚じゃなくて哺乳類だし、マンボーに至っては魚なのに泳ぐのが苦手。
ありとあらゆるなんだかわからないものが、複雑に有機的に絡み合って、この世が成り立っています。
役に立つものだけでこの世はなりたっていません。
一体何の役に立つのか分からないようなものの集まりがこの世です。
役に立っていないようなものが、実は役に立っています。
海苔を消化し、栄養を吸収できるのは、地球上で日本人だけです。
それは、なんだかよくわからない細菌が、何千年も昔から海苔を食べてきた日本人の体内に誕生し、それが今に至るまで日本人の体内に受け継がれてきたからです。
一見意味がなかったり、無駄だったり、なくてもいいようなものが、実は重要な意味を持つこともあるという事です。
なので、
なんだかよくわからないけどうまくいった事というのは、理由が分からずとも、次も試す価値があるのです。
そして、なんだか分からないけど、うまく続いていることは、理由が分からずとも変えてはいけません。
こんな訳のわからないもののカオスの中で、あらゆる淘汰の波を乗り越えてきたからには、人間には分からない絶妙なわけのわからないバランスが働いているのです。
少々理屈に合わないからといって変えてしまうと、うまくいかなくなるどころか、とんでもないしっぺ返しを食らうことがあります。
変える時、それは、うまくいかなくなったときです。
なんでもいいから今までと違う事をやってみるのです。
なんだかわからないものに満ちたこの世だからこそ、何だかわからないものと反応し、何だかわからない力が生まれて、今までとは違う結果になります。
決して、試したけどダメだった事を繰り返さないでください。
うまくいった事、少なくともマイナスにはならなかった事を続けてください。
これが解決思考ブリーフセラピーの基本哲学です。
実に保守的なのです。
ではまた次回
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さすがはグレンラガンのスタッフが作ったアニメだけあって、無茶苦茶熱いアニメでした。
もはや熱いという言葉では生ぬるく、新しい言葉を欲しいくらいです。
ギャグと熱血と理屈と色気が混然一体となって怒涛のスピードと想像の斜め上を常にいく、
先の読めない展開が最高でした。
実はこのキルラキルの中で、非常に大事な事が語られています。
それは、
なんだかよくわからないものです。
物語の序盤から、なんだかよくわからないもので作り上げたコロッケ(なぜかおいしい)を食べるシーンが幾度も登場します。
これが複線として後々効いてくるのです。
崇高な理想を掲げ、練りに練った計画を、強いリーダーシップと統制された組織で、大規模に実施することは一見正しいように思います。
そして目先の欲に目がくらんだ胆略的な行動は間違っているように感じます。
しかし、決してそうではないのです。
前者のような事を実際にやってのけたのは、いわゆる共産主義(計画経済)です。
理想の世界を思い描いて国を作った結果、理想に沿わないものを排除し、多くの犠牲を出し、国は崩壊するという結末を迎えました。
それに対して後者(自由経済)は滅びずに残っています。
物語の終盤で、崇高な理想のため、あらゆるものを利用していた学園の支配者「皐月」は、敵と同じ事をしていることに気づき、なんだかよくわからない連中の力をみとめ、自分のやり方が間違っていたことを反省しました。
崇高でもない理由(時には目先の欲)のために戦う主人公「流子」の強さは「皐月」を上回り、それはなんだかよくわからないものの協力や反応のたまものなのです。
なんだか分からないものにこの世は満ち溢れているからこそ美しい。
そう素直に感じ取れるようになったのです。
だからこそ皆で一致団結することができました。
ここは大変重要なポイントです。
人間の頭で考えた計画は、完璧ではないのです。
なぜなら、人間は完璧ではありません。
この世は、なんだかよくわからないもので満ち溢れています。
カオスそのものです。
ジャングルのなかには、背の高い木やキノコや植物なのか何なのかわからないものが生えて、虫のようなものが居て、目に見えない微生物がうごめき、ウイルスや菌の類がいるかと思いきや、ゾウのような巨大な哺乳類が居て、川には川の魚、海には海の魚が居て、クジラは魚じゃなくて哺乳類だし、マンボーに至っては魚なのに泳ぐのが苦手。
ありとあらゆるなんだかわからないものが、複雑に有機的に絡み合って、この世が成り立っています。
役に立つものだけでこの世はなりたっていません。
一体何の役に立つのか分からないようなものの集まりがこの世です。
役に立っていないようなものが、実は役に立っています。
海苔を消化し、栄養を吸収できるのは、地球上で日本人だけです。
それは、なんだかよくわからない細菌が、何千年も昔から海苔を食べてきた日本人の体内に誕生し、それが今に至るまで日本人の体内に受け継がれてきたからです。
一見意味がなかったり、無駄だったり、なくてもいいようなものが、実は重要な意味を持つこともあるという事です。
なので、
なんだかよくわからないけどうまくいった事というのは、理由が分からずとも、次も試す価値があるのです。
そして、なんだか分からないけど、うまく続いていることは、理由が分からずとも変えてはいけません。
こんな訳のわからないもののカオスの中で、あらゆる淘汰の波を乗り越えてきたからには、人間には分からない絶妙なわけのわからないバランスが働いているのです。
少々理屈に合わないからといって変えてしまうと、うまくいかなくなるどころか、とんでもないしっぺ返しを食らうことがあります。
変える時、それは、うまくいかなくなったときです。
なんでもいいから今までと違う事をやってみるのです。
なんだかわからないものに満ちたこの世だからこそ、何だかわからないものと反応し、何だかわからない力が生まれて、今までとは違う結果になります。
決して、試したけどダメだった事を繰り返さないでください。
うまくいった事、少なくともマイナスにはならなかった事を続けてください。
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実に保守的なのです。
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