こころの保守カウンセラーさいとうでございます。
週に一回くらいの更新になろうかと思いますが、よろしくお願いします。
大阪に拠点を置いて、スカイプやメールでこころの相談を受け付けております。
ホームページはこちらです。
さて、今回は親についてです。
子供は親をよりどころにして育ち、やがて自立します。
ごく当たり前の事ですが、もし、これが逆だったらどうでしょうか?
親が子供をよりどころにしていたら?
そんな恐ろしい話が意外なところに現われているという本があります。
この本の中で、宮崎駿監督作品について、興味深い分析があります。
「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」、これらにある共通点があると言います。
それは、物語の主人公達は、自分を苦しめる年長者に対し、対決や責任追及などをせず、自分で呪いを解こうと努めるということです。
これを、作者の佐藤健志は「上の世代に何をされても恨むな」という隠れたメッセージだといいます。
その真意を「崖の上のポニョ」で説明しています。
この物語は、大津波による町の水没を境に世界観が根底から切り替わってしまいます。
人間と海の間にあった対立関係は無くなり、危険な災害であるはずの津波で家を失った人が、手のひらを返したかのように気楽に避難している。
この切り替えはなぜ必要だったのか?それは大津波で得をしたある人物の為です。
それは介護施設「ひまわりの家」の老女です。
ポニョは人間になることと引き換えに魔法を失い、宗介は一生を左右する近誓いを立てさせられた。
しかも彼が心変わりしたらポニョは泡と化して消滅するという厳しさなのに対し、
老女は溺死するどころか車いすなしで歩きまわれるようになった。
「老人が町全体を犠牲にして若返っている」というわけです。
話を美化して角が立たないようにするために、津波のあとの世界はリアルな被害のない、子供の視点での話に切り替え、誰も困らない世界にする必要があったということです。
津波が来る前、宗介の母リサは、ひまわりの家の老女を心配し、宗介とポニョを置いて家をでました。
これも良く考えたらおかしな話です。
子供にとっては不条理で、老人にとっては都合のいい話になっています。
この映画の宣伝スローガンは「生まれてきてよかった」ですが、一体だれのために良かったのか?
これは子供の視点に立った言葉ではなく、その生命力を食い物にしたがる親の視点ではないのかと、作者の佐藤健志は書いています。
もちろん宮崎監督が意図的にそんな作りかたをしたのではなく、無意識にそうなっていたという事なのですが、実はこれだけではありません。
京都大学 藤井聡教授が、ある歌の歌詞に同じものを発見しています。
松任谷由美の という曲です。
歌詞全文はこちらをご覧ください。
問題となる歌詞は
地球に降りた Popstars
Babies are popstars
みんな決めたミッションをもっているよ
Popstars, babies are popstars
その未来の ふたりを守るために来た
どんなときもふたりの味方になるよ
Popstars, babies are popstars
その未来の たぶんいちばんのともだち
つまり子供は親を守るために生まれてきたと言っています。
子供の人生は親を守るというミッションであると。
だとしたら、親が死んだあとこの子の人生はどうなるのでしょうか?
この歌詞は、親の人生の長さでしか書かれていません。
つまり、子供の視点に立った言葉ではなく、その生命力を食い物にしたがる親の視点なのです。
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子供は親をよりどころにして育ち、やがて自立します。
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親が子供をよりどころにしていたら?
そんな恐ろしい話が意外なところに現われているという本があります。
この本の中で、宮崎駿監督作品について、興味深い分析があります。
「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」、これらにある共通点があると言います。
それは、物語の主人公達は、自分を苦しめる年長者に対し、対決や責任追及などをせず、自分で呪いを解こうと努めるということです。
これを、作者の佐藤健志は「上の世代に何をされても恨むな」という隠れたメッセージだといいます。
その真意を「崖の上のポニョ」で説明しています。
この物語は、大津波による町の水没を境に世界観が根底から切り替わってしまいます。
人間と海の間にあった対立関係は無くなり、危険な災害であるはずの津波で家を失った人が、手のひらを返したかのように気楽に避難している。
この切り替えはなぜ必要だったのか?それは大津波で得をしたある人物の為です。
それは介護施設「ひまわりの家」の老女です。
ポニョは人間になることと引き換えに魔法を失い、宗介は一生を左右する近誓いを立てさせられた。
しかも彼が心変わりしたらポニョは泡と化して消滅するという厳しさなのに対し、
老女は溺死するどころか車いすなしで歩きまわれるようになった。
「老人が町全体を犠牲にして若返っている」というわけです。
話を美化して角が立たないようにするために、津波のあとの世界はリアルな被害のない、子供の視点での話に切り替え、誰も困らない世界にする必要があったということです。
津波が来る前、宗介の母リサは、ひまわりの家の老女を心配し、宗介とポニョを置いて家をでました。
これも良く考えたらおかしな話です。
子供にとっては不条理で、老人にとっては都合のいい話になっています。
この映画の宣伝スローガンは「生まれてきてよかった」ですが、一体だれのために良かったのか?
これは子供の視点に立った言葉ではなく、その生命力を食い物にしたがる親の視点ではないのかと、作者の佐藤健志は書いています。
もちろん宮崎監督が意図的にそんな作りかたをしたのではなく、無意識にそうなっていたという事なのですが、実はこれだけではありません。
京都大学 藤井聡教授が、ある歌の歌詞に同じものを発見しています。
松任谷由美の という曲です。
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問題となる歌詞は
地球に降りた Popstars
Babies are popstars
みんな決めたミッションをもっているよ
Popstars, babies are popstars
その未来の ふたりを守るために来た
どんなときもふたりの味方になるよ
Popstars, babies are popstars
その未来の たぶんいちばんのともだち
つまり子供は親を守るために生まれてきたと言っています。
子供の人生は親を守るというミッションであると。
だとしたら、親が死んだあとこの子の人生はどうなるのでしょうか?
この歌詞は、親の人生の長さでしか書かれていません。
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